◎山で出会った面白い登山者紹介
(みんな、友達になろう!友達の輪を広げよう!)

★毎日札幌近郊の山々を駆け巡る人、マサリカップさん:男性、69歳。
ブログでマサリカップと検索すると彼のブログが見れます。それと北海道の四季誌と検索すると彼のホームページが見れます。マサリカップさんと初めて出会ったのは春を目前にした4月初めの円山でした。そのとき、その人間からにじみ出る迫力のようなものに圧倒されました。軽快にスタスタと登っていく足取り。日に焼けて真っ黒な顔で筋肉質の体は服の上からでもわかります。一年中を通して、毎日、札幌近郊をはじめとした道内の山々に登っている彼はまさに山に登るために生まれてきたような人という感じです。
◎一日10~12時間歩きまくる人・・
新琴似在住の彼は毎日、札幌近郊の山々に登る。冬はスノーシューで縦走しまくるのだ。夜の12時に起きて、一晩中、道なき山々を駆け巡る。彼はその歩いたところを忘れないように時には写真に写したりして、目印になるような丘、山、沢、滝・・などに名前を付けて、自分で地図を作りながら歩くのだ。そしてその地図を頼りに自分のルートで山に入る。遭難した時のために、一応食事は二日分用意する。山に入ってからは一日必ず20~30分仮眠する。そして昼間の1~2時位に家に帰るという生活を送っている。家に帰ってからは地図作りに専念したり、パソコンに向かったりして、寝るのは夕方6~8時位で、5時間程寝たのち、12時に起きて出動だ。(雪が解けた最近は8時位に寝て2時位に起きて行動する。)

◎クマの寝床で仮眠する人・・・
春先、彼は時々手稲山山中にあるクマの冬眠する寝床で仮眠する。ちょうど雪の盛り上がったところがあり、なんだろうとある日のぞいて見ると、なんとそこはクマの寝床だったのだ。クマが冬眠から覚めて外出しているのか、その時そこにはいなかった。その空いた寝床にはクマの毛があり、ちょうど枕になるくらいの木の枝が頭部にあったのだ。まさに寝床そのもので、彼もそこで一度寝てみたら実に寝心地はよかったのだ。クマがもしも戻ってきたのならどうなっていたのだろうということすら顧みることもなく、彼はそれ以来時々そこを20~30分の仮眠に利用させてもらっているようだ。

◎クマとは何度も出会い、顔見知りになっている人・・・
そんな彼は札幌近郊の山々で何度もクマに遭遇している。一度、旭山記念公園登山中に藪から急に小熊が出てきた。それを遠くから和んで見ているとなんと近くには母クマがいたのだ。母クマは彼の存在に気が付いて、危険を感じたのか彼の方を見て一瞬立ち上がったのだ。その大きさに彼は驚いた。そのクマの指はまさに人間の手くらいの大きさで爪も鋭く、あんなのに一突きされたらひとたまりもない、完全に肉がえぐられるような大きさだった。幸いにそのクマは親子ともどもそこを静かに立ち去って行ったようだ。もしも襲ってきたらどうなっていのだろう?彼は藻岩山~砥石山~盤渓あたりに生息する親子クマにはよく遭遇しているようだ。そのクマも彼とはすっかり顔見知りになり、またあいつか?というような目で見て素通りしてゆくという。彼が言うには自分自身のカレー臭というものをクマが嫌がってあまり近づいて来ない・・と・・?大体どこにどれくらいのクマがいるというのがわかっているようだ。

◎夏は自転車、そして海に素潜り・・・
○夏には彼はマウンテンバイクで道内中、時には道外にも出て走るのだ。もともと、自転車のロードレースの選手だった彼は自転車で何時も走っていることには慣れていた。仲間と共に稚内、知床・・と駆け巡る。健脚な足もこれで鍛えたようだ。
○夏には必ず一度は海に行き素潜りするという。積丹の海で20メートル位潜っては魚、海藻などを眺めているという。

◎山でのエピソード
○一度、手稲山の崖で猛吹雪の時に風にあおられて20メートル下まで落ちたのだ。幸い雪がクッションになって怪我一つしなかったが、危ない一幕であった。
○ある日、平和の滝で滝の流れ落ちる音を録音していたら、男の人の叫びのような声も偶然に録音されていた。明らかに叫んだ声だという。平和の滝では自殺者も多く、幽霊伝説が絶えない。おそらく自殺者の霊では?と思われる。あの駐車場のトイレも首吊りの名所であるようだ。彼はその付近で今まで何度も黒い影を目にしている。

★奥三角山に魅せられた人、中本さん(仮名)、男性(66歳)

◎奥三角山に魅せられて・・・
中本さんが奥三角山に登り始めてもう10年にもなる。仕事をしていた時は休みの日、週に2回くらいしか来れなかったが、リタイヤーして以降、昨年からのこの一年間は毎日登るようになった。午後1時から登り始め、4時半には下山するという生活を送っている。もちろん、その手前の三角山~大倉山は必ず通って来るが、何よりも彼の奥三角山に対する思いはかなり深いものがあった。彼が言うにはちょうど奥三角山は登って下りてくるまでの時間が自分の午後からの空く時間にマッチしていたという。しかしそれにしても三角山ー大倉山でもなく、なぜに奥三角山なのか?私なりにもいろいろ考えてみた。ここには登った人でないとわからない独特の魅力がある。前方の人々で賑わう三角山に比べ登る人も少なく自分の一人でいる時間をゆったりと過ごせる空間があるのは確かだ。私もこの奥三角山の山頂で一人、ベンチに座ってコーヒーを飲みながら1時間くらい過ごしたことが何度かあった。誰も来ることなく、自分だけのマイ山といった感じが強くなってくる。札幌市街地を見渡すように君臨する三角山を背後から客観的に見つめる気分もいい。
◎奥三角山山頂やルートを一人で整備!
何よりも中本さんのすごいのは奥三角山の山頂や途中のルートを一人で整備したことだ。以前の山頂はただ標識がかかっているだけの殺風景な場所だったが、昨年のいつ頃からか?かなりきれいに整備されているのだ。大きな石は積まれ、狭かった山頂が広くなっている。それに木のベンチまで設置されていて、これをやったのは札幌市の職員かな?と思ったくらいだ。昨年の冬に私がたまたま奥三角山に登った時の事だった。奥三角山へのルートに雪の階段をつけているおじさんがいた。私は感謝の意を込めて話しかけたのだ。立ち話をしていくうちによくよく聞くと、そのおじさんは山頂などをすべて一人で整備していたことを独白したのだ。山頂のいくつも積み上げられた石は毎日、一個づつ下から持って登り、積み上げて行ったという。その人がまさに中本さん、その本人であったのだ。
◎元フランス料理人・・・
彼は以前、円山でフランス料理の店を経営していた。その時はバブル時代全盛期。店は繁盛したという。忙しい時には手もまわらないほどで人を使って仕事をしていた。しかしバブルが去って以降、客足はだんだん遠のいていき、しまいには店をたたんでしまうことを余儀なくされる。それ以降はどこかの小さな料理店で雇われて仕事をしていたが、昨年で退職し、年金生活となった。そしてこの一年間は毎日奥三角山に来るようになったという。

◎彼は奥三角山を離れることに・・・
金銭的余裕もなく、まだまだ働きたい彼は66歳という高齢の身で、およそ地元札幌では仕事も望めなく、唯一道外での仕事にありつく事ができた。その仕事は福島の原発事故の汚染された地域での除染作業だという。だいぶん今は落ち着いているようだから・・・と語る彼には少しの不安をにじませる。高齢の彼にはこのような仕事しかないのだろうか?私も不安を感じたが、彼の望んでする仕事を否定はできない。約一年間の勤務だというが、その一年間は彼がこよなく愛した奥三角山を手放さざるおえない。生活のためには時には好きなことからも遠ざからざる負えないというのはなんともさみしい気もする。ましてや66歳という年齢で、今まで十分に働いたのだから、もうそんなに働かなくてもいいのではとも思うものだ。しかし彼には彼の事情があるのだろう。これだけは私の口を差し込む余地はない。黙認するしかないのだ。最後に私は今まで本当に多くの登山者のために奥三角山を整備するという無償のボランティアをやっていただいてありがとう~と心から感謝の気持ちを伝えた。
5月8日旅立って行った中本さん・・・今はもう奥三角山には彼の姿はない。今度会えるのはいつの事だろう?ありがとう!中本さん!